競技歴ほぼなしの有能指導者とか、卓球界に存在したんだな。


中学生を指導する卓球界の名将、山田俊輔さん(左)=南あわじ市阿万塩屋町、阿万スポーツセンター

 卓球の兵庫県高校新人大会のパンフレットを開くと、1967年から33年間、女子団体の優勝を洲本、三原(現淡路三原)、洲本の順に計26度も占めていた。取材会場で理由を探ると、「それは山田先生のおかげやね」。「淡路島王朝」とも呼べる1強時代を築き、定年退職後には五輪メダリストも育てた名将だが、自身に卓球経験はほぼないという。興味をそそられ、島に会いに行った。(有島弘記)


【写真】卓球女子の洲本3冠を報じる1999年6月8日付の神戸新聞朝刊



 南あわじ市の阿万スポーツセンター。今も地元の教室で中学生を教える山田俊輔さんと待ち合わせた。79歳。朗らかな笑顔に「名伯楽」の言葉が浮かんだ。


 卓球歴は賀集中(現南淡中)の1年半だけ。三原高から神戸大に進み、65年春、洲本高に新人教諭として赴任した。


     


 6月ごろ、卓球部女子の監督になったが、選手は1人。山田さんは学生気分が抜けきらず、部員を体育館に残したままパチンコに行く日もあった。


 転機は夏休み。卒業生が教えに来ると生徒はみるみる上達したのに、自分が練習相手になると、習得したはずの技ができない。


 「こっちが教えた打ち方に戻したから。つまり、気を使われた。生徒の妙な顔を見て、えらいこっちゃと冷や汗が出た」


 目が覚めると、「なけなしの金」で8ミリフィルムカメラを買い、大学の試合を研究用に撮影。強豪校の監督にも教えを請い、着任からわずか2年後、県高校新人大会で初優勝を飾った。


 以降は勝ちまくった。当時、「兵庫で卓球と言えば淡路」というほど中学年代が強く、有望株が集まりやすかった。その上で、最新の技術や戦術を求め続けた山田さんの貪欲さも強さに拍車をかけた。


 県高校総体の女子団体優勝も、三原高時代を含めて計23度。全国高校総体は洲本高の2度の2位が最高だが、同校主体で挑んだ78年の長野国体では高校女子の頂点に導いた。


     


 退職後の2006年、強豪のミキハウスで指導を始めた。出会ったのが後にロンドン五輪女子団体で銀メダルに輝く平野早矢香さんだった。


 すでに一線級の力があったが、福原愛さん、石川佳純選手の陰に隠れた存在だった。「平野にはマスコミに取り上げられるキャッチフレーズがなかった」と山田さん。平野さんから「命がけ、本気という意味が分からない」と相談があったタイミングで、「雀鬼(じゃんき)」と呼ばれたマージャン士、桜井章一さんを紹介した。


 その交流が話題となり、「卓球の鬼」という愛称が定着した平野さん。古武術の要素を取り入れた山田さんの練習で全身を使った強打も磨き、07年から全日本選手権女子シングルス3連覇と国内無敵を誇った。


     


 ミキハウスのコーチを退いてしばらくたつが、今秋の世界選手権(団体)で銀メダルに輝いた佐藤瞳選手ら同社メンバーが度々、淡路島まで合宿にやってくる。各地の講習にも招かれ、来年2月に傘寿を迎える高齢でも、引っ張りだこだ。


 「実は54、55歳で卓球が楽しくなったのよ」。指導の真理に近づいたのがその頃という。取材日も、上着を脱ぐほど熱く中学生相手に球出しを続けていた。


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