“愛ちゃん2世”と呼ばれた天才少女・石川佳純 「若い世代に勝てないのではないか」現役晩年に乗り越えた壁
卓球の五輪三大会連続メダリストである石川佳純が、5月1日、23年間の現役生活から退くことを電撃表明した。自身の公式サイトを通じて日本語と英語で発表したほか、ファンが多くいる中国のSNSサイト「ウェイボー」にも投稿。4月18日にあった「WTTチャンピオンズ・マカオ大会」2回戦で東京五輪女子シングルス金メダルの陳夢(中国)に1-3で敗れてから10日あまりで下した“決断”に、国内外から惜しむ声が続出している。
「愛ちゃん二世」14歳で日本代表に抜擢小学1年生から本格的に卓球を始め、小学6年生で出た2005年の全日本選手権女子シングルスで3回戦に進出し、「愛ちゃん二世」と脚光を浴びる。子どもの頃は土日だけで50試合こなすこともあるほどの“試合好き”。2007年の全日本選手権では史上最年少の13歳11カ月での四強入りを果たし、その直後に14歳で日本代表に抜擢された。
抜群の身体バランス、機を見て豪快にコースを突く王道スタイル左右に振られても頭の高さが変わらない抜群の身体バランスと、サウスポーから繰り出すフォアハンドを武器にみるみる力をつけていき、2011年の全日本選手権で女子の高校生として22年ぶりの優勝を飾った。
台から少し離れた「中陣」でラリーをしながら、機を見て豪快にコースを突く王道スタイルで日本のトップに登り詰めた。素顔は清楚な印象通りの謙虚な性格。けれども、ひとたびラケットを持てば自ら得点を奪いにいく攻撃的なプレースタイルを貫き、世界と渡り合った。
高速卓球の若手が台頭 そして、生まれた「名勝負」潮目に変化が起きたのは全日本選手権で3連覇を飾った2016年以降のことだ。台前に張り付く「前陣型」から高速卓球を展開する伊藤美誠や平野美宇が台頭し、女王の座を明け渡した。早田ひなを含めた2000年生まれトリオの勢いはすさまじく、「卓球スタイルが古い」という心ない言葉も飛んだ。けれども、そこで諦めないのが石川。前陣速攻型への対応力を磨いて反撃の時を待った。
こうして迎えたのが2021年1月の全日本選手権。当時世界ランク3位で優勝候補筆頭とされていた伊藤との決勝は、今なお語り草となっている名勝負だ。
第1ゲームは多彩なサーブを武器とする伊藤に4-11で奪われたが、第2ゲームは対応力を発揮した石川が取り返し、ゲームカウントは1-1。第3、第4ゲームは再び伊藤のサーブと速攻に苦しめられたが、1-3と追い込まれてから驚異的な粘りを見せる。
第5ゲームを12-10と僅差で奪うと、第6ゲームも連取。最終第7ゲームは9-5から9-9に追いつかれたが、そこからが石川の真骨頂だった。「世界一美しい」と称されてきた得意のフォアハンドで2連続ポイント。5年ぶり5度目の優勝を果たすと、両手を突き上げて喜びを爆発させた。
感無量の面持ちで始まった優勝インタビューでは、「多くの若い選手が力をつけた中での優勝をどう感じているか」と聞かれ、20秒近く言葉が出なかった。そして、「うれしい。たくさんの人に感謝したい」と言い、涙を拭った。
「若い世代に勝てないのではないか、もう無理なのではないかと思ったこともあったし、言われることもあった。でも、そうではなかった。まだまだやれると思っています」。この芯の強さが石川の最大の武器だった。
「五輪ではやっと日本選手同士で争わなくていい」五輪の代表選考では、わずか2枠しかない女子シングルス代表争いを10年以上にわたって全力で闘い抜いてきた。特に東京五輪の選考レースは「24時間ついてくる」と表現したほどの重圧。選考ポイント2位の平野と僅差の三番手で臨んだ2019年12月の「ノースアメリカンオープン」決勝は平野との直接対決となり、この試合を制した石川が逆転で2位に滑り込むと、「五輪ではやっと日本選手同士で争わなくていい」という言葉が自然と口を突いた。
東京五輪は女子シングルスでこそ悲願のメダルに届かなかったが、女子団体では熾烈な代表争いで競い合った平野と組んだダブルスで一回戦から準決勝まで三戦全勝を飾り、銀メダルに大きく貢献した。東京五輪後も卓球への情熱に陰りはなく、引退を表明した時点でパリ五輪の日本代表選考ポイントは5位。世界ランクは11位。十分な力を持ったままの爽やかな引退だった。
卓球人気を押し上げ、魅力を広めたアスリートのこれからの人生にエールを送りたい。
(出典 news.nicovideo.jp)
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